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上ノ代からの眺望

上ノ代 

~比婆山と一対の聖山~

(かみのしろ)

上ノ代からの眺望

標高330メートルの高台に眠る、出雲の記憶比婆山の北に向かい合うように位置する上ノ代(上之代山・標高330m)は、その山頂一帯に百基以上の古墳群が確認されている、出雲でも類を見ない特異な場所です。円墳・方墳を中心に、なぜかヤマト様式の前方後円墳も混在しており、異なる時代の権力が幾重にも重なり合った歴史の地層がここに眠っています。

比婆山と上ノ代 ―鶴亀山という対の名―

地元では比婆山と上ノ代を合わせて「鶴亀山(つるぎざん)」と呼ぶ伝承があります。亀は地母神・大地・死と再生の象徴であり、比婆山の玄武岩柱状節理が亀の甲羅を連想させることから比婆山=亀、対する上ノ代=鶴(あるいは蛇)という一対の聖山として、古来から信仰されてきたと思われます。一方の比婆山には国生みの母神・イザナミノミコトが眠ると古事記に記されています。では、対となる上ノ代には誰が眠るのでしょうか。

 

幸姫命とイザナミノミコト

 

出雲に古くから伝わる道祖神信仰では、夫婦神として「幸姫命(さきひめのみこと)」と「久那斗王(くなとおう)」が祀られています。出雲の道祖神が全国的に珍しい夫婦像として祀られているのは、この二柱の夫婦神信仰が根底にあるためと思われます。興味深いのは、出雲風土記に「古志町の治水をイザナミの時代に行った」という記載があることです。治水という具体的な事業が記録されているということは、イザナミノミコトとは神話上の存在だけでなく、実在した人物をモデルにしている可能性を示唆しています。そしてその実在モデルとして、出雲では「幸姫命こそがイザナミのモデルである」と伝えられています。古事記で記されたように、先に声をかけたイザナミノミコト。これは母系社会が男系社会よりも前に存在していたことを暗示しています。大地を育み、水を治め、民を導いた女性指導者の記憶が、やがて母神イザナミの神話へと昇華されていったのかもしれません。

久那斗王とイザナギ、そして上ノ代

 

幸姫命がイザナミのモデルであるとすれば、その夫・久那斗王はイザナギのモデルと考えるのが自然です。久那斗(クナト)とは道祖神の古名でもあり、境界・道・結界を司る神として知られています。出雲の道祖神が夫婦として祀られる伝統は、この実在の夫婦・幸姫命と久那斗王の記憶が神話化された名残と読むこともできます。比婆山に幸姫命=イザナミが眠るならば、一対の聖山・上ノ代には久那斗王=イザナギが祀られていたのではないか。そう考えると、この地が「鶴亀山」という一対の名で呼ばれてきた意味も、夫婦神信仰という文脈で腑に落ちてきます。

 

東出雲の玄関口に古墳群が建てられた理由

 

しかし不思議なことに、上ノ代の古墳が誰のものかを伝える記録も口伝も、ほとんど残っていません。これほど重要な場所でありながら記憶が完全に消えているということは、意図的に抹消された可能性も否定できません。上ノ代は戦後、上の台(うえのだい)と通称を変えられています。上ノ代は出雲全体を見渡せる高台であり、東からの入口を押さえる東出雲の玄関口でもありました。縄文時代には松江や出雲平野の多くが海や湿地であったため、この高台周辺こそが出雲文明の初期の中心地であった可能性もあります。やがて海が退くにつれて人口と権力の中心は西へ移動し、大和の勢力が東から押し込んでくるにつれ、上ノ代は国境の最前線として機能するようになったと考えられます。死してなお東を見張るように、この高台に葬られた人々。その中に出雲の王統に連なる人物がいたとしても、不思議ではありません。また前方後円墳の前方部が西を向いていることは、大和制圧後にヤマト政権がこの聖地に支配の証を上書きした痕跡とも読めます。円墳・方墳という古い出雲の層の上に、前方後円墳というヤマト様式が重なっているとすれば、上ノ代はまさに出雲とヤマトの歴史が交差する場所といえます。

 

戦前に騒がれた「高天原」説

 

かつて戦前には、この上ノ代こそが高天原であったのではないかという説が唱えられ、話題になったと伝えられています。出雲全体を見渡す高台に百基以上の古墳群、比婆山と一対をなす聖山という条件を考えれば、それほど荒唐無稽な話でもありません。また、文献「神主熊野家系図之次第」には比婆山と青垣山に並び出る「天の原には千木を高く掲げ」という記述があり、「天の原=上ノ代(高天原)」という対応を示唆する可能性も捨てきれません。謎は多く残りますが、比婆山と上ノ代という一対の聖山が、古代出雲の人々にとって特別な意味を持つ場所であったことは確かです。母神の眠る比婆山を正面に見つめながら、今日も上ノ代の古墳群は静かに出雲の空の下に佇んでいます。

上の台緑の村管理棟
国土地理院地図

国土地理院の地図には、正式な「上ノ代」の名称が掲載されている

上ノ代は戦後に開拓・開発され、お茶の生産が盛んに行われた。また、上の台緑の村というアウトドア施設が作られ、多くの古墳群が戦後に消失したが、現在でも山頂付近には「上の台日向尾根古墳群」として前方後円墳等が見られる。

比婆山のガイドや観光案内については上の台緑の村の管理棟で確認することが出来ます。

北より見たる比婆山と上ノ代の遠望

​昭和初期の図。比婆山、上ノ代、九才峰に玄武岩柱状節理群による結界が描かれている。比婆山にイザナミノミコトを祀り、上ノ代にイザナギノミコトを祀り、間の九才峰には猿田彦命を祀っていたのかもしれない。

参考文献・研究資料

1. 峠之内玄武岩の固結溶岩湖に関する研究

論文名
A solidified lava lake in an explosion crater within granitic basement, SW Japan

著者
Yoshihiro Sawada, Koji Uno, Tetsuya Sakai, Hironobu Hyodo

 

掲載誌
Bulletin of Volcanology
Vol. 85, Article 26

発表年
2023年

DOI
https://doi.org/10.1007/s00445-023-01634-3

研究概要

島根県安来市伯太町の峠之内玄武岩について、花崗岩基盤中に形成された爆裂火口を溶岩が満たし、そのまま固結した「固結溶岩湖」であることを地質学的に検討した研究です。溶岩湖は上部でおよそ340m×550mの規模を持ち、170m以上の深さに達すると推定されています。柱状節理の形態や方向、周辺岩石への熱的影響、古地磁気データなどから、溶岩湖の形成過程と冷却史が詳しく解析されています。

2. 伯太玄武岩の高ストロンチウム含有とマグマ成因に関する研究

論文名
Origin of Pleistocene Sr-rich Hakuta basalts, Shimane Prefecture, SW Japan

著者
Yoshihiro Sawada, Tetsuya Sakuyama, Tatsuki Tsujimori, Hirotsugu Nishido, Katsuyuki Yamashita, Syuhei Ohgo, Osamu Okano, Xiaoyu Zhang, Barry Roser

掲載誌
Lithos
Volumes 536–537, Article 108564

発表年
2026年

DOI
https://doi.org/10.1016/j.lithos.2026.108564

研究概要

安来市伯太町に分布する伯太玄武岩について、岩石学・鉱物化学・微量元素・Sr-Nd同位体・炭素同位体などを用いて、その特異なマグマの起源を研究した論文です。伯太玄武岩はストロンチウム(Sr)濃度が約1,700〜4,100 µg/gと非常に高いことが確認されており、一般的な火山フロント玄武岩とは異なる特徴を示します。研究では、沈み込むフィリピン海プレート由来の流体とマントルとの相互作用が、Srに富む玄武岩マグマの形成に深く関係している可能性が示されています。なお、本研究では伯太玄武岩を、峠之内玄武岩・比婆山玄武岩・上の台玄武岩などに区分して研究しています。

​雲伯堺
比婆山

大母神の坐所

本サイトでは、これらの学術研究によって確認された地質学的事実と、比婆山に伝わる古事記・信仰・地域伝承を区別しながら紹介しています。地質学的な年代、岩石の組成、柱状節理、古地磁気、ストロンチウム濃度などについては、上記の査読論文を主要な学術的根拠としています。一方、比婆山と伊邪那美命との関係や古代からの信仰については、『古事記』をはじめとする文献資料および地域に伝わる伝承に基づいて紹介しています。

​サイト運営者情報

比婆山観光案内所(上の台緑の村)〒692-0215 島根県安来市伯太町赤屋 上の台緑の村    お問合せ:0854-38-0022 

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