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森の木の切り株
比婆山

母なる大地 と
   地母神信仰

遥か遠い昔、豊かな恵みと多様な生命を育む大自然は、この世界に生けるもの全ての母であるという「地母神」信仰が誕生しました。今で言うガイア神、キュベレー、イナンナ(アフロディーテ)などの世界中に見られる母神も、元々は地母神の信仰から派生した神々と言われています。誰しも一度は「母なる大地」という言葉くらいは聞いた事があることでしょう。
 

◆母神の使い

科学の発達した今でさえ、人知の及ばない生命の仕組みに感銘を受けるわけですから、なおさら昔の人は不思議に感じたことと思います。ですから、昔の人はある時、初期の胎児の姿を見て手足が無く尾がある事から、「蛇(巳)というのは我々の根源の姿であって、母神の化身・使いではないか」と思ったようです。(巳とは、胎児の姿を表す象形文字)

蛇が母神の使いであると思った昔の人には、様々なものが蛇と結びついて見えたようです。例えば農耕には水が不可欠ですが、「多量の水を運んでくる大河は大蛇の姿に見える!だから蛇は雨をもたらす母神の使いだ」とか、またある時、蛇の脱皮と冬眠を繰り返す姿を見た人は「これが生命の再生を司る母神の力か」と崇めたり、蛇の頭の形を見て「男性器に似た形である上、とぐろを巻いた姿はまるで女性器だ…つまりこれは豊穣や生産の象徴だ!」とか。その他にも「雷は光の蛇で雨をもたらすのだ」「閉じる事のない蛇の目には霊力があり魔を払う力がある」等々、蛇と母神が結びついた信仰が見られるようになりました。


◆日本における母神信仰
蛇は母神の使いであるという信仰は世界各地で見られるようになり、日本でも縄文時代には土器に蛇の紋様(縄文)をあしらって豊穣や魔除け、子孫繁栄、多産を願った様子が伺えます。土偶は母神を模ったものでは?と言われています。
ところが縄文時代後期になると多くの小国が誕生し、大乱の世が始まりました。縄文時代から弥生時代になると急速に土着的な信仰は失われてゆきます。


◆縄文時代の呪術・祭祀の道具は三種の神器の元?
縄文時代の呪術・祭祀に使われていたと言われる「石棒(=蛇の頭部をあしらった男性の象徴)」、「鏡」(=蛇身:カカミ、もしくは蛇目:カカメ。とぐろを巻き太陽光を反射する姿であり女性の象徴)、「勾玉」(胎児であり子供の象徴)は、後世に三種の神器として形を変えてこの国の正当な統治者の証となり受け継がれていったと言われています。石棒が剣になったことは…言うまでもありませんね。

◆神社のルーツは母神信仰?
今日においても、母なる大地への信仰は多くの神社にその痕跡を残しています。例えば、鳥居(元は注連柱)は母神の股を表し、その先を聖域とするものです。鳥居を朱色に塗るのは出産・生命誕生の色を象徴しているとの事です。そして参道は母神の産道であり、そこを辿り母神の子宮である宮に参る事は、新たな自分への生まれ変わりを意味していると言われています。このように神社という空間全体が、母神信仰の世界観を体現した聖域として設計されていたと考えられています。そういう気持ちで神社へ参るとちょっと楽しくなりますね!

◆日本各地に残る母神信仰の名残り
古来より、神は山に住むと言われてきました。山は地母神の胎内への入り口であって、死んだ魂はそこへ向かい、再び地母神より再生されるとされています。日本各地に残る「母塚」や「母山」などの地名は、母神信仰が盛んだった名残りと言えます。そしてここ「比婆山」は、最古の歴史書「古事記」において国生みの母神イザナミノミコトの終焉地として登場するほどに、山容が地母神の象徴で形成されており、もっとも母神に近い場所として信仰されてきた様子を伝えています。古代から連綿と続く母神信仰の聖地「比婆山」。長く神秘的な参道(産道)は、偉大なる母神の胎内へと誘われるような感覚に包まれます。ぜひ一度、足を運んでみてください。

 

比婆山に纏わる母神と女神イシュタル

メソポタミア文明の女神イシュタル。豊穣と多産の神。左手に生産を象徴する交尾する2頭の蛇を持つ。wikiより
 

比婆山に纏わる母神と女神アフロディーテ

トルコのアフロディーテ像。紀元前2世紀ごろ。左腕と左ももに蛇が絡まっている。トルコの博物館より。

比婆山に眠るとされる国生みの母神・イザナミノミコトのモデルと言われる。

インドのナーガとナーギィ神。インドは現在でも蛇信仰が盛んに行われている。イザナギとイザナミのモデルとも。wikiより
 

比婆山周辺には縄文時代の出土品も多い

縄文時代の土偶。蛇の紋様デザインが施されていると言われる。右は遮光器土偶。多産、豊穣の願いを込めて作られたとも。用途には諸説有り。wikiより
 

​雲伯堺
比婆山

大母神の坐所

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